「心の底から詫びる誠意は・・・」 札幌市 佐藤 京子

 事故は、記録的な猛暑となった平成6年7月28日に起きました。小学校の夏休みに入り3日目の事です。
 赤ちゃん用品などの宅配業務で駐車場に入って来たワゴン車によるものです。駐車場に進入してきたワゴン車の運転手は、右前方に子供が2人居るのを確認していながら事故は起きてしまったのです。運転手は、車の前方5メートル位のところを横切る子供を発見しましたが、ブレーキを踏んではくれませんでした。そして次に来た息子が轢かれました。ほぼ即死状態でした。

 息子の博勇はまだ小学校2年生でした。出掛けは、あれ程元気に「行って来まーす」と言っていたのに、つい数時間前までは笑顔で話していたのに、なんとあっけないのでしょうか。人の命とは、こうもはかないものなのでしょうか。とても信じられません。とても暑い夏でしたので、事故の日の夕方には少林寺の胴着に身を包み、棺の中に入ってしまった博勇。余りに短い別れ、今でも息子の机の上には、夏休みの計画表が7月27日の所で止まったままになっています。

 加害者の処遇については、警察、検察庁共に教えては頂けませんでした。処遇を知ったのは略式裁判も終わり、何度の問い合わせにも埒があかず、直接検察庁の検事正の方に面会に行った時でした。検事正のお話では、加害者も深く反省している事と、刑罰と言うものは更正させる為にあり、その機会は与えなければならないと言う事だったと思います。しかし、その様な思いとは違い、加害者は、その後、手を合わせに来ようともせず、その処遇も判らぬまま私達から電話する事も出来なくなってしまいました。私達の思いとは裏腹に、ついに姿を現す事なく、両親共々住所を変え、示談する事もなく行方知れずとなってしまったからです。

 何と理不尽な事でしょう。誠意とは何なのでしょう? 加害者に出来る事とは何でしょうか? 自分の身を案ずるより先に、心の底から詫びる事がせめてもの誠意ではないでしょうか。「車」と言う命さえ奪ってしまう凶器を扱う者への責任とは、これだけのものなのでしょうか。私の、この様な身を引き裂かれる思いと、無念の気持ちは、この先も消える事はないでしょう。大切な命が罰金という形で許され、済んでしまうのなら、その罰金を私達が支払うから、子供を返して欲しいと叫びたい。加害者は、事故から一日も早く忘れようと努力するが、私達被害者は、日増しに加害者への憎しみ、子供への思いが募って行きます。

 残念な事に交通事故は一向に減ってはいません。小さな命が失われ続けているのです。私は、私と同じ様な思いをされる方が居なくなる様に、これ以上小さな命が儀牲になる事がないように願い、交通安全を訴え続けて行こうと思っています。そして、今でも博勇は私達の家族であり、心の中で成長し続けているのです。

 天国からいつ遊びに来ても良いように、あなたの場所は開けてあるからね。