「償い」 札幌市 工藤 浩明

 娘が事故に遭ったのは、平成6年10月31日のことです。その日もいつもどおり朝「行ってきま~す」と何度も言いながら団地の階段を降りていきました。娘の声を聞いたのは、それが最後でした。
 下校途中に青信号で横断歩道を歩いていた時、右折してきた若者が運転するRV車に轢過されました。娘は病院での治療も空しく1時間20分後に亡くなってしまいました。
 11月2日は、楽しみにしていた八歳の誕生日を迎えることなく土にかえりました。

 私達が、加害者と会ったのは娘の通夜の時でした。加害者は22歳の既婚者で子供もいる男性でした。加害者の言葉遣い、態度など色々怒りを感じましたが、娘を死なせた事をー生忘れさせたくないという思いから、私達夫婦は、この加害者を受け入れ、自分のした事の重大さや娘に対しての金銭でない償いをしてもらおうと考えました。

 人を死なせた重大さを考えてもらいたいと思ったのですが、それが判らなかったのかもしれません。

 裁判結果は、懲役1年2ヶ月の判決、加害者は、事故後も娘を跳ねた車を運転し、裁判後1度も手を合わせに来ないなど、刑事的な償いは終わっても故人に対する償いは終わっていません。それをわかってほしいと思います。
 自分の不注意で奪ってしまった命に対してどう償うのか? 償いきれない罪ならどう接していくつもりなのか? 弁護士や他人の考えに左右されずに自分なりの償い方があるだろうし、遣族の望む償い方もあるはずです。

 加害者は、自分の人権だけを尊重し、亡くなった命、遺族に対しても自分から縁を切っていく、いろいろなモラルが間われている今日、一番大切な事が刑事裁判の終わりとともに無視されている。
 私達はそんな加害者になんの手だてもなく、そんな自分勝手なモラルを取り締まってくれる人も機関もこの国にないことに矛盾を感じながら生き残っている。

 自分の遇失で奪った命に対し、心からの思いやりを示すことを加害者本人が気が付くべきだと思っています。