「甥の交通事故」 旭川市 H・O
ある日曜日の朝、甥が交通事故に遭ったと言う知らせ。詳細が判ったのは、それから数時間後。
仲間4人でドライブ中、カープを曲がり切れず電柱に激突、後部席にいた甥は頭部を強打して即死。他の仲間3人は無傷だったとのこと。甥は、25歳の若い命を閉じ、この世を去った。いや、‘去らせられて’しまったのだ。
折悪く、姉は義兄と別居中。義兄の兄姉達が四方八方手を尽くし、葬儀には何とか間にあった。息子の変わり果てた姿と対面し、棺に横たわっている息子の頬を撫でながら、名前を絶叫し“ごめん、ごめん”と詫びながら泣き伏していた。
葬儀では、これからクラス会でも始まるかのように沢山の若者達がお参りに来てくれた。甥の死をこれ程悲しんでくれる沢山の仲間がいてくれたことを知り、姉は、あらためて涙していた。
初七日もまだ迎えぬうちに、加害者親子がやってきて、“生前貸してあった携帯電話を返して欲しい”と。“お借りした携帯電話は、お返ししますから、息子の身体を元通りにして返して”・・・、きっと姉は、こう叫びたかったに違いない。最愛の息子を失ったショックからか、怒り狂う気力さえもなくしてしまったかの様に思えた。本当に何という仕打ちなのだろうか。
4人の中で、ただ一人甥だけが亡くなった事でさえ悔しいのに、この加害者親子は、この世の中で本当に生きて来た“人間”なのだろうか? 当然のことながら、その後の補償間題は、うまく進展していない。
お正月、姉は母に電話をした。母さん元気? 今年は忙しくて年賀状出せなくて・・・・“みんな元気なんでしょ? うん。元気よ”こう答えることが姉の精一杯の親孝行だったに違いない。
やがて90歳に手が届こうとする母は、今だ孫の死を知らない。