「菜摘へ」 札幌市 横山 裕子

 莱摘、元気ですか? 今、何をしていますか? 寂しくないですか?

 ごめん、ママは精一杯元気にしているけれど、円香のいないところでこっそり泣いています。菜摘、何をしてほしいですか? 私のやっていることは、菜摘にとって良いことですか? 悪いことですか?

 菜摘が生まれたのは、昭和62年3月12日だったね。とても綺麗な赤ちゃんだったから、知らない人にも声をかけられた。次の年の12月12日に、円香が生まれた。二人は、いつもケンカしていたけど、仲良かったよね。円香が一番頼りにしていたのは、菜摘だったんだよ。
 かわいい顔していて、外で遊ぶのが大好きな女の子に成長して、男の子も、女の子も関係なく仲良くしていた菜摘が、とてもまぶしくて、うらやましかった。小学5年生になると、少しずつ女らしくなってきたよね。ママにとって、とても嬉しかった。

 平成9年7月1日午後4時35分頃、ピアノの教室に向かうため歩道橋のスロープを自転車でおりてきた菜摘は、トラックに頭をひかれ即死した。ごめんね、一人でいかせて、つらい思いをさせたね。その時、ママは、仕事の帰り道だった。警察からの電話は、円香が受けて知らせてくれたんだよ。警察に電話したら、警察署に来てくださいって言われて、「どうして病院じゃないんですか?」って叫んだ。バスから降り、必死で探したタクシーは、事故現場を通って来たタクシー。菜摘が迎えに来てくれたの?

 菜摘が亡くなって、何をしていいのか判らなかった。今も、手探り。結局、事故の真相は判らないまま・・。でも、どうしてトラックの運転手が不起訴なの? 菜摘は亡くなったのに。警察の人は一番優しかったけれど、仕事だから、何もおしえてくれないの。やっと手に入ったのは、「実況見分調書」だけ。菜摘は、道路に出てなんかいない。それまで我慢してたけど、どうしても納得がいかない。でも、一般人に出来ない事、教えてもらえない事があるんだって。ひどいよね。

 トラックの運転手は、1回も会いに来ないよ。忘れたいんだって。全部、保険屋さんにまかせてる。ママは、菜摘に言っていたよね。どっちが悪いか判らなくても、とりあえずあやまろうねって。おじさん、そうじゃないらしい。

 民事裁判は、月1回のペース。裁判所の人や弁護士たちは、みんな顔見知りだから、ママからしたら、和気あいあいって感じ。菜摘を知らない人ばかりだから、ママは心配で、毎回出席しています。なあなあになんて、させないからね。ママに勇気を下さい。

 菜摘は、知っていますか? ママは、いつも菜摘の寝顔を見て、「ママより、先に死なないでね」って、お願いしていたのを・・・・。