「母を亡くして」 旭川市 横山 静子

 母が突然いなくなってから2年経った今でも、
 「あれは現実だったのだろうか?」と、信じられない気持ちです。
 ただ、毎日の生活の中に母の姿がないことだけは事実です。
 道路を横断中、軽自動車にはねられ、宙を舞い、ボンネットに叩きつけられた母は、意識を戻すことなく、天国へ行ってしまいました。
 最後のお別れの言葉さえ交わすことができなかったのです。
 家族の見守る中、心臓マッサージを終わらせると同時に、モニターの中の曲線は一直線となり、心拍数0が恐ろしいほど胸に突き刺さりました。
 交通事故は誰にでも起ることとわかっていても、我が家には絶対にあり得ないことと思いこんでいました。車を運転する者ならともかく、自転車にさえ乗れない母なので、我が家では1番事故にあう確率の低い人と思っていました。
 ドライバー本人は事故当日、病院に駆けつけた私達に対し、顔も見えないほど深く頭を下げていました。
 自分の不注意から事故を起こしてしまったことを詫びているようにみえました。

 ところが、後日「母が急に道路に飛び出した」と言ってきたのです。
 ゆっくり行動する母がそんなに急ぐわけがないのにと、私達家族にはとても信じられませんでした。
 その後、事故の状況がわかってくるとドライバーの主張していることが間違っていると確信しました。
 それは、「物的証拠」や「近くを歩いている人の証言」からでしたが、裁判ではドライバーの言い分が通り、「不起訴」となってしまいました。「死人に口なし」ということです。私達にとって本当に悔しい判決でした。
 すぐ、検察審査会に再審査を申請しましたが却下されました。
 母は、勝手に道路に飛び出した不注意な人と判断されたわけです。
 悔しい気持ちをどこへもぶつけることもできず、相手とも話しがつかないまま、2年が過ぎました。

 母の仏前に良い結果報告もできずにいる毎日は、つらく悲しいものです。
 母の死後、父は悲惨な状況でした。まるで体の一部をなくした人のようで、精神的ショックから、何もかもバランスが崩れてしまいました。
 眠れぬ夜が続き、昼と夜が逆になり、一度言ったことは忘れてしまい、自分で行動したことさえ、忘れることが多くなりました。
 目に見える傷はすぐに回復するでしょう。でも目に見えない「心の傷」は2年経った今でも癒えることがありません。
 車を運転するということは、人をいつでも死なせることができるということです。
 道路は車だけのものではないはずです。「歩行中の人の間を走らせてもらっている」というくらいの気持ちで車を運転してもらいたいものです。
 信号が「黄」から「赤」に変わりそうだと、停止するわけでなく、逆にスピードをあげる人がいますが、それは自分だけの道を走っていると勘違いしているのではないでしょうか?

 道は、歩行者のものでした。今は車のものになっているように思えます。
 歩く人、自転車に乗る人もいるのです。車が優先されるわけじゃないはずです。
 私達のように「悔しい思い」をしている人が、全国にどれだけいるでしょう。
 もうこれ以上、増やしてはほしくありません。
 運転する人は、「命に対する責任」を持ってハンドルを握って欲しいと思います。

(この文章は、平成12年12月6日『「なくせ交通事故」被害者の声』に、掲載されたものです。)