「通行人二人跳ね殺す」 千歳市 小川 静江
昭和47年12月3日、道道砂用赤平線で主人は友人とともに乗用車に跳ねられて、約5メートル土手下に飛ばされた。車は逃げた。つぎの朝犯人は逮捕された。
友人は、一晩中助けて~・・と大腿部に自分で止血しながら叫び続けましたが、酔っぱらいだろうと思われたのかそのまま一夜が明けた。友人は凍死、主人は頭蓋骨骨折て即死。
犯人は、滝川市内ではしご酒、酔っぱらい運転中の事故、「許せない。」
私の家には4日の朝知らせがあった。
小学校2年の長女、小学校1年の次女、8か月の長男・・・。
その日から私は、自律神経失調症にかかり、今でも薬を飲む日が続く。
27年は昨日のようでもある。子供のため、自分のため努力・・・・。
3人の子供達には苦労をかけました。
あれから27年間、私の意地で交通安全運動には、マスコットやチラシなどを配りながら生活をしています。
北海道交通遭難者家族の会にも参加、毎年6月28日滝川で行われる交通事故犠牲者に対する慰霊祈願に昨年は参加してきました。市でもガンバっておりますが、雨が降ったら運動が中止になるのは何故・・・。
安全の旗を持って立つだけが安全運動なのでしょうか。何十年たっても変化がない。運動を見直しては・・・。お願いをしたい。タチンボーだけでは事故は無くならないのです。平成の運動は考えなおして下さい。
死亡した人は帰ってきませんが、残った家族も手をつなぎ命を守って行く事を考えてほしい。
長い年月を死と生に別れた私達の苦しみは、一生無くならず祈願し続けることでしょう。