「深い心の傷跡」 札幌市 山崎 伸子

 平成10年7月16日の朝8時、高校に通う途中、娘(高校3年)が交通事故に遭った。救急隊の方から連絡を受け、指定された病院に向かった。ストレッチャーの上に寝かされたままの娘は、一見何ともないように見えたが、やたら左足を痛がり動かせなかった・・・・。
 大腿骨骨折で手術が必要で、3ヶ月の入院と診断されそのまま入院となった。セーラー服を着たままベッドに横たわる姿に3ヶ月という長い入院生活は「大変な事になった」という気持ちがこみ上げて来た。大学受験はどうなる? いや、その前に推薦入学の方は? いやいや、その前に3ヶ月も休んだら学校は卒業出来るのか。内臓の方はなんともないのか? 考えているうちに、病衣に着替えさせてもらい、すっかり病人になった娘をおいて家に帰り、入院用品などを詰め込み、弟を連れて又病院に向かった。1日が3日にも感じられた。

 東警察署の娘の係の人には、私の方から電話をした。
 「お宅の娘さん、車道を走っていたんだってね」「9・1だね」「裁判になる」など突拍子もない事をペラペラと喋られた。
 「車道を走るような娘ではないので、よく娘に聞いてみます」と私は電話口で小さくなった。どういうことなのか、さっぱりわからん。なにしろ警察の人は、娘に一度も会っていない。警察が来たときには、既に救急車に乗って病院だったのだ。・・・不安で手が震えた。結局は車道など走っていなかった。どういうことだ。
 次の日、保険屋も来た。娘が悪いところを認めて、保険証を使って治療してくれ・・・・と連日押し掛けて来た。所長代理という人に途中で変わった。その人は、「私どもに協力していただけない場合は、四面楚歌にします」と言った。ニコニコ笑いながら言った。
 50歳代の新聞店員だという加害者は、「大したこと無かったわ」などと嘘ぶいている。お見舞いも電話もなし。今でも時々見かけるが、帽子を深くかぶり直し、私に気づかれない振りをする。

 娘は入院中も勉強を続け、101日入院して退院、4月から短大に通っている。短大のバスで通うだけなのに、左足が腫れる。びっこもひいてくる。疲れやすい、歩くのも遅い、スポーツなどやれない。
 私の大切な大切な娘を・・・・心の震えは納まらない。再手術が済んでもこんな状態であるなら、加害者や関係者に対して、私は何をするかわからない。
「まさか、警察が・・・」「あの人が・・・そんなこと言ったりする訳ない」
などという“まさか”が実際は、現実は、誠意のないことを言われ、手術の痛み以上に、深く傷付けられたことは、真実です。

 その上、交通事故を起こした加害者に対しての刑事責任は余りにも軽い・・。事故のショックと同時に、大人の人の心もとない扱いに心まで傷を残した。