「突然、忘れることの出来ない鈍い音」
札幌市 内山 孝子
平成4年、今冬は大雪の年でいつもは雪投げのしない主人が、こまめに雪投げをしていた。第2の仕事も退職、老後を楽しく生きて行こうと希望を持っていました。4月9日、町内会有志の人々で退職祝いを催してくれましたが、なぜかお酒の好きな主人がお酒を口にしなかったそうです。家の反対側で車から降り帰宅しようとした主人を確認したのが最後の元気な姿であった。常に、注意深く回り道して信号を確認家路に着く人が何故、この夜は中央分離帯を乗り越え道路を渡ったのか?
突然、忘れることの出来ない鈍い音、不思議と「アッ、主人だ」と直感、転げるように外に、お父さん、お父さんと呼べども応答なし、あまりにも大きな衝撃であった。あと2、3歩で歩道、そしてわが家に戻ることも出来ずに即死であった。
享年69歳、今だに死んだと認められない胸中、亡夫もまた納得しないまま天国に逝ったように思えてなりません。「事故の事は多く語る事はいまだに出来ません。」
目まぐるしく変化していく車社会の事故は、不条理として避けられないものなのでしょうか。
亡夫の過失はないとは言わないが、前方不注意で大切な人を奪われた痛みに対して、詫びのない若者、刑事事件の結果、示談いずれも納得できないまま進んでしまう苦痛、「人の命は地球より重い」と語るが、人が終える時、事務的に処理され、とても残念、無念でありました。
亡夫は、地域住民の生活防衛のために先頭に立って貢献した人でした。
亡くなる前年の平成7年4月、事故多発地点は環境や条件の悪さに大きな原因があるとして、要望書などを作成して東警察署に赴いていたが、今はただむなしさが残るだけです。生前の亡夫は、長年に亘って地域発展の中核となっていたので、今だに亡き夫を懐かしんで下さる人からご厚情を頂いています。これを財産として大切に主人を偲び暮らしています。
北栄元町両地区は今年の事故抑止重点地域に指定されたようです。
一日も早く「ある日突然」と言う事故のない安心して暮らせる地域になってほしいものと亡夫も願っている事でしょう。