「なぜ、どうして・・・・」 江別市 山田 昌子

 交通事故は恐ろしいです。6歳の孫が命を断たれて2年9ヶ月ですが、悲しいばかりです。
 家の中に姿が消え、声も無くなった時、遺族も生きる力を失いました。私は、食べるから生きている、生きているから食べるだけの毎日になってしまいました。そんな悲しさの中、両親は、事故の状況を知るため所轄署に出向きましたが、どうせ飛び出しだろうと言われ、状況は知らされませんでした。
 ただ、当時現場で係官が母親に、運転手はブレーキとアクセルを踏み間違ったかなと話していました。
 その後、事故の状況を知りたくて、当時の運転手に来てほしいと連絡したところ、運転手から連絡はなく、弁護士からの示談の提示があり、そのまま運転手とは会えなくなりました。それで、再度、所轄署に出向いた時は、書類は地検に送ったので何も言えないと言われ、地検で「不起訴」になった事を知りました。

 肉親を失った家族にとって交通事故死は、そんな軽いものでしょうか。
 その運転手は、8年間に人身事故を含め5回の事故を起こし、任意保険にも加入出来ない人と聞いており、これが6回目の事故でした。
 両親は、運転手の真意を知ることと吾子の名誉の為に、訴状を作り父親の親元で民事裁判を起こし、5回目の運転手への尋問で、「右側駐車場の女の子を見ていて、前は全然見ていなかった」事を認めました。

 不起訴とは、「処罰の必要が無い」と認識しております。人命を断って不起訴の当事者は、死者に1本の線香も手向けなくとも心が安らぐでしょうか。そして、何年か後、また運転が許されるのでは、我が国から交通事故死は増加しても少なくならないと思います。

 失った内親を想い、涙にくれる家族を増やさないで下さい。
 どうぞ、命の重さを教えてほしい。これは、遣族の血の叫びです。
 ペンを持つ手は震え、涙で書けない20日余りでした。肩のあたりで、「おばあちゃま、がんばった。おばあちゃま、えらい」と言ってくれてるような温もりを感じながら、一息ついてペンを置きます。