「息子が生きた証を」 札幌市 E・G
連絡を受け、病院へ駆けつけると、すでに白い布が・・。信じられない。ただ、茫然と涙も出ない。
慌ただしく葬儀の準備が進む毎に、涙が止まらなくなる。納骨までの間、寝床に着くと、除夜の鐘の音が遠くで聞こえる・・・。
その音が、「母さん、ごめん」とも「母さん、痛いよう」とも聞こえてくる。母親を亡くした時も、勿論悲しかった。でも、重みが全然違う。心のどこかで、親は子供より先に死ぬと言う頭があるからだと思う。
他人は、「まだ○○ちゃんがいるんだから、がんばって」と言うが、亡くなった息子と残っている娘は別々であって、代わりにはならない。親と自分の老後の設計を立て、着々と進めていたのです。まだ、二十二歳だというのに。私の一番の話し相手であった息子が亡くなり、余りにも辛くて「愛する家族を亡くした」人の本を読んだり、どうしたら、息子が喜んでくれるのか「あの世で幸せになるため」の本も読んだ。
電車に飛び込みたくなった時もあった。お酒が飲めたら、お酒にも溺れたかもしれない。
息子が、今、正に生き返る瞬間の夢も見た・・・。こんなに辛いのです。
ですから、もう、誰にも泣いてほしくないのです。自分の命であっても、自分だけの命ではないのです。大事に、大切に、一日一日を暮らしていかなければいけないと思います。
何か、息子が生きた証を残したくて・・・・・。