「母の死」 八雲町 山田 久子

 交通事故、この言葉は、生まれてからすぐ耳にしていた言葉でした。私自身、運転手でありますが、交通事故だけは避けたいと思い、運転しているつもりです。

 平成9年12月27日、母は交通事故で死亡しました。死ぬ10分前まで生きて電話で話をしていた人間が、10分後には死ぬ。その事実を何がなんだか判らないまま、私はただ、葬儀をやることしか考えられませんでした。

 私は一回忌が終わった今でも、納得したくありません。それが本音です。

 私が、何よりも辛いのは、畳の上で死なせてあげられず、冷たいアスファルトの上で死なせてしまったことが、私にとっての負い目です。

 今まで、ひとりで大きくなった気持ちでいましたが、母が亡くなったことにより、その存在の大きさに痛感しました。

 こう言う思いを私ばかりではなく、多くの方が、経験していることが辛いです。私は、声を大にして言いたいのは、「自分だけは」という気持ちを捨てて、事故はいつ起こるかわからないので、一人一人気をつけなければならないと思います。また、命の尊さを今一度確認し、交通事故が少しでも減るように願い、私自身も前を向いて歩くことが、今一番母が望んでいることだと、信じています。