「花嫁姿、夢と消えた雨の夜」 札幌市 中川 俊男

 姪の十三回忌が今年の3月22日、しめやかに行われた。
 思い出に新たに涙の1日でした。
 良縁に恵まれ、結婚式も決まり、両家には喜びの日々が悪魔に似た1人の運転手によって、姪は呪うように昇天して行っただろう。一家は奈落のどん底に落ち、何の気力もない数日間。

 忘れもしない13年前の3月24日、東区北31条東17丁目通り、みぞれ混じりの午後9時頃、信号機のない交差点、東から西に向かう乗用車の無謀運転に一度ボンネットに跳ねあげられてから振り落とされた轢き逃げ。付近の方の通報によって救急車で病院へ、医師の手厚い看護の甲斐もなく、家族に見守られて死去。
 当日は、結婚式の打ち合わせで婿が訪れ、地下鉄駅まで送っての帰り、傘を差して自宅に戻る途中の、あまりにもむなしく散った青春時代。

 帰りの遅い両親に不吉な予感、救急車のサイレン、外を見るとパトカーの赤い回転灯、まさかの半信半疑で近くの現場へ、ふと見ると娘の傘が開いたまま道路の隅に、気も動転、頭の中が真っ白、一人の警察官に「娘さんですか」と聞かれ、病院へと指示を受ける。
 数人の警察官が雨の中、身をかがめ証拠品探しに一生懸命の様子が印象深い。事故の2日目、新聞、テレビの報道に犯人不明、憎しみは声にならず、力の入った拳が震えている姪の両親を慰める言葉もない。
 3日目、雪降りの通夜、訪れた警察官は必ず犯人を挙げると力付け、頼もしく思いました。
 涙、涙の告別式、婚礼間近のあの笑顔の姪は、小さな箱の人となる。
 早すぎる3分の1の人生、人の命は一寸先闇とお坊さんは言うが、殺される交通事故死は余りにも非道だ。
 夜、轢き逃げ犯人判明と電話が入る。だが、死んだ姪は帰らず、思わず馬鹿野郎と、怒鳴る。
 5日目の28日、加害者の両親が見え、只、謝りの繰り返しの言葉、涙も枯れ果て沈黙の数時間、意をくみお引きとりを願う。加害者自身は今だに顔を見せず。示談は、何回かの交渉で了解。

 変わらぬ姪の写真を見つめ、今、元気でいたらと思うばかり。
 新聞は、毎日、交通事故死を伝える。交通戦争に終わりはないのだろうか。
 最後に、事故当夜から加害者発見まで、日夜努力下され、いらだつ家族に親切な言葉がけ、心の拠り所をいただき、誠にありがとうございました。