「ある日突然に」 浦河市 富田 富久
平成10年11月5日(木)、晴れ、朝トントンと食事の支度、まな板の音に起き出す。妻は洗濯を終え朝食の準備に取りかかる。
今朝は好い天気だ。秋も通り過ぎようとしている平和な一日の始まりだ。6時朝食、わが家の日課の始まりだ。NHK朝のドラマを見て、8時40分、妻を会社に送って行く。車を降りる時、「行ってきます」、「行ってらっしゃい」と声を交わしたのが妻との最後の会話であった。
その日、私は花畑の後始末をし、遅い昼食を食べた午後1時ころ、電話が鳴った。「こちら日赤病院ですが、奥さんが交通事故で整形外科に来ておりますので、すぐ来て下さい。」私は、妻が手か足でも折ったのかと思いながら駆けつけた。
外来の前で、外科部長さんが「今、検査を終えたところですが、当院では処置が出来ないので静内の病院に転送しますので私も付いて行きます」と言われ、私は、「どうなんですか」と聞くと、「脳に血が回っているので重傷です」
側によって顔を見ると、目をつむったまま呼べど何の反応もない。その時私は、駄目だ、頭をやられていると感じました。でも、なんとか生きて居て呉れと願いつつ静内に向かった。
静内の病院では、すぐに検査を1時間程してくれた後の説明で、タ方まで持つかどうか判らないと言われた。
息子達も苫小牧から駆けつけてきたが、医院長の話は、暗くなる話ばかりでした。「先生、何とかして欲しい」と頼む。だが、結果は、2時間後には帰らぬ人となってしまった。事故から4時間、一言の言葉も交わす事もなく、手を握っても何の反応もなく、あまりにも呆気ない別れでした。
48年間、一緒に生活していて、最後に一言のいたわりの言葉も交わすことなく去ってしまった。
妻に対して、私は情けない、残念無念の一言です。
12月末には退職して、その後の青写真も出来ていたのに、何もかにもが無です。
一人で食事の支度をして、食べていても「あ~おいしいね」と返る言葉もない。仕事から帰ってきても、お帰リなさいの声も聞けない淋しい一人暮らし。何で、こんな事故が起きたのであろうか。
青信号で横断歩道を歩行中の事故でした。運転していたのは、中年のプロの運転手でした。脇見運転だという。いま少し気を付けていて呉れたなら、こんな悲劇は起きなかったであろうと、憎んでも憎んでも憎み切れない。
私の心中には、いつまでも妻が生きていて、ただいまと戸を開けて帰って来るような気がしています。
しかし、無です。残念で残念でなりません。