「貴方」 札幌市 M・M

 「まだ、死ねないね。だってまだやりたい事が沢山あるもん」と、新聞やニュースで悲しい事件や事故を見聞きする度、貴方はこうもらしていた。自分の未来に大きな夢を持ち、それを実現する力も十分あったのに、砕け散るには一瞬の出来事だった。私達に4年目はなかった。

 平成10年秋に貴方は遠くの街に就職した。卒論や就職活動で忙しかった私は、クリスマスに遊びに行くと約束し、電話で聞いていた貴方の新生活を想像しながら、楽しみにしていた。そして、就職から1ヶ月後、友人の車で帰省すると連絡があり、私は、いつものように家で待っていた。でも、貴方は来なかった。助手席の貴方だけが逝ってしまった。

 告別式が終わるまで、私はショックで涙も出なかった。全ての思考回路がストップし、胃は何も受け付けなかった。
 初めて会う貴方のご家族、ご親類、お友達。なぜ私は一人で挨拶しているのだろう。
 緊張の糸が途切れてからは、これまでの情景が何度もフラッシュバックし、時も場所も選ばず涙が溢れてきた。どんなに楽しい思い出も、もう悲しみでしかなく、新しい思いを作っていくことも不可能なのだ。
 「もし、あの時・・していれば」と悔やんでも、貴方の死が現実な以上は納得のいく答えはない。だから、私は「もし」は言わない。その代わり自分の未来にも何の期待もしていない。貴方あっての未来だったから。

 今春、私は就職し、新しい生活を始めている。周囲の人に「彼氏はいるの?」と聞かれる度に、「遠くにいる」と、現実を受けとめきれない私がいる。無邪気に質問してくる人達には、きっと考えも及ばない世界の話なんだろうなと思いつつ、一人の人間の存在の大きさや命の尊さについて、日々深く考えている。

 “さて、今回このような場で、私達関係者の思いを表出する機会が与えられたことを、大変感謝いたします。しかし、私は、あの日以来手紙や電話、Eメールといった手段で人に伝える事で救われてきました。だから話せる段階にいるのでしょう。この苦しみ、悲しみは、経験した者でないと判らないでしょうし、立場によっても思いは様々でしょう。愛する人を失う人がこれ以上増えないよう心より願っています。”