「北海道交通事故被害者の会」の設立にあたって

 私たちは悲惨な交通事故により、最愛の子や配偶者、親などかけがえのない家族を失ったり、あるいは体や心に深い傷を負わされ、筆舌に尽し難い苦しみの中で生きています。
 一日たりとも忘れることなどできない日々の中で、私たち遺族や被害者がいっそう辛い思いにされるのが、絶えることのない同様の交通事故報道です。
 私たちが道警交通部の手記募集に応じ痛切な胸のうちを吐露したのは、「再び悲劇を繰り返して欲しくない。尊い犠牲が報われるように事故の教訓を生かして欲しい」との共通の思いがあったからです。

 手記集には、肉親を失ったり傷つけられたりした悲しみとともに、その後の捜査や裁判の中で受けた不条理についての指摘が多くされています。
 事故の真相が知らされず、加害者は当然起訴されるものと確信していたのが、不起訴と聞いて愕然としたという例や、裁判においても被害遺族の疑問や主張を取り上げてもらえず、加害者の人権ばかりが尊重されたかのようなあまりに軽すぎる刑の例などです。 等しく与えられたはずの生存の権利を一方的に奪う最大の人権侵害としての交通犯罪がこのように軽く扱われ、果たして事故は減るのでしょうか。「故意ではなく事故なのだから仕方がない」という風潮を助長しないでしょうか。
 私たちはかけがえのない肉親を突然失った悲嘆に加え、こうした理不尽さに年月が経っても決して癒されることのない悲しみに陥ります。

 ある被害者の方は「50年経った今も亡くした子を想う」と綴っていますが、私たち遺族や被害者は、「なぜこんな目に」という思いから、その日以来、心の底から笑うことはないのです。周りを気遣い、その振りをすることがあっても、次の瞬間には無念さを思いふさぎこんでしまいます。楽しかったそれまでの思い出は悔しい過去に変わり、人と接するのが辛くなって外出が減ったり、趣味を捨てたりと、私たちの生活は一変しているのです。

 しかし被害者が、このまま孤立し無力感に陥っているばかりでは、尊い犠牲は報われません。
 私たちは、被害者同士支え合うことで、一人ではかき消されてしまう悲痛な叫びを大きく強くして、これ以上犠牲者を出さないための活動を模索したいと、手記に応募した者の中から発起人会をもち、「北海道交通事故被害者の会」の設立準備に当たってきました。

 私たちは、悲惨な交通事故の再発防止と被害者救済を目的にこの会の活動を始めていきたいと思います。
 そのために何ができるのか、まだ未知数ですが、事故の悲惨さを誰よりも知る私たちでなければ出来得ないことがあると思います。関係各機関および直接ハンドルを握るドライバーは、クルマがとりわけ歩行者や自転車通行者にとって容易に凶器ともなる危険なものであるという認識をして、事故の未然防止に当たって欲しいと思います。私たちの求める被害者救済も事故の再発防止に直結しなければ意味を持ちません。
 命をあがなうことは決して出来ないことだからです。

1999年9月17日
設立発起人会