「面影を偲びて」 札幌市 佐川 昭彦

 毎日のように繰り返される交通事故。走る凶器と騒がれて半世紀、「気を付けねば」と自身に言い聞かせた矢先。耳を疑う交通事故の知らせ。気も動転し、駆けつけた病院で「つい先程、お亡くなりになりました」との宣告。それも、夫婦揃って・・・・。足が震え、気力も喪失。ただ茫然とするばかり。

 それは、忘れもしない、9月17日午後4時。嫁のご両親が北広島の町道で、事故に遭ってから2時間後のこと。
 日頃、ご夫婦で左右を確認し、声を掛け合っての慎重な運転。子供達にも交通マナーを厳しく言い聞かせていた模範運転手の故人が、「なぜこんなことに」深い悲しみによる嫁の号泣が今も耳に残って・・・・。

 この忌わしい事故から8か月。事故現場では、今日も猛烈なスピードで通過するダンプ。シートベルトをして身構え、エアバック装備の頑丈な外国車であってもこのダンブには、勝てない。その上、立派な舗装道路の十字路で、信号はもとより、一時停止の標識や停止線すらないお粗末さ。更に、条件が悪く、左右同じ道路幅で、優先を表す白線も薄く、西日を受けるとまったく見えない状況下での事故。しかし、ダンブ側の過失は、優先道路のため1割、乗用車側が9割悪いという。この理由からか、2人もの尊い命を奪い、残された者の心に大きな傷を負わせても、保険会社任せの事故処理と冷たい法の裁きを知る。

 退職直後の8月、「これから充実した2人の老後の生活が始まる」と笑いながら話した故人。唯一の楽しみがドライブ、そのドライブの最中に起きた事故。穏やかで明るい老後を夢見た生活も、わずか3か月。故人の無念さを思うと夜も眠れない。
 生前、几帳面に色分けしてあった球根を、故人を偲び、子供達と涙して植えたチューリッブが見事な花を付けている。
 自然の営みは生命を得、人間の営みは命を奪うのかと、
    「遺る瀬無く、今は亡き人を偲びて満開の花を見る。」