「社会貢献できなかった息子。残念でならない。」 深川市 伊藤 博明

 平成7年11月14日、青森大学2年生の長男はアルバイト先の靴屋さんから自動二輪のバイクに乗って下宿に帰る途中、地理不案内で蛇行しながら走行してきた乗用車が前をよく見ないまま農道に入ろうと右折したために、センターライン寄りを走行していたらしい息子のバイクは避けきれずに乗用車の側面に衝突、息子の体は20メートルも跳ね飛ばされたというのです。

 私は職場の外回りから帰った途端、「大変だ。大変だ。息子が大変だ」と同僚が駆け寄ってきたのです。一瞬何が起こったのだろう、警察から電話? エッ何のこと? 聞いているうちに、自分が今、何を、どうしたらよいのか、体は震え、頭の中は完全に混乱していました。別の仕事先にいる家内に、どうやって連絡し、事態を伝えたのか今でも思いだせません。
 取りあえずの青森行きの機中で、その時の「意識はありません」の言葉に気丈な子だからきっと大丈夫。しかし、「脳の損傷がひどく心臓が止まった状態で搬入・・・と続けて聞かされた言葉に、本当にだめなのか、という堂々めぐりの何とも言えない暗い交錯が胸を締め付けました。

 面会謝絶の札の掛かっていない病室のドアを目にしたときの情けなさ。ベットに横たわり、人工心肺の管をロにし、物言わぬ現実の息子を前にして、大声をかけてやる気さえ起こりませんでした。その2日後、側から離れようとしない家内に手を握られたまま、息子は別れの言葉も出せずにこの世を去りました。
 悔しかったであろう。親しくしてくれた友達や、お世話になった多くの皆さんに何ひとつお返しをすることができなかったのですから。

 志し半ばにしたこの事態をどう始末したら良いのか。息子の亡骸と相談しました。息子は、“俺の目は、透き通っている。目の悪い人に俺の目をあげてくれ”そう言っているようでした。角膜移植なら間に合う。即刻献眼の手術が施されました。その後、2人の方が光を取り戻したとのことでした。
 “俺はなんにも悪くない”と胸を張って歩く最愛の息子が偲ばれます。