「娘よ、今どこに」 札幌市 水野 美代子
交通事故、毎日のようにテレビ、ラジオや新聞で見聞きしているが、まさか自分に降り懸かってこようとは。
事故の電話連絡を受けたときには、腰の力が抜けていくような、何が起こったのかと頭の中がからっぽの状態でした。
平成4年2月15日、2月としてはめずらしいくらいお天気が良い日だったように覚えています。娘の勤務先の職場レクリェーションで4台の車に分乗してキロロのスキー場へ向かう途中、同乗していた車が大型バスと衝突し、3人が重軽傷を負い、娘と運転者が帰らぬ人になってしまいました。車のタイヤはスタッドレスでした。
突然の悲しみ、ショックそれとストレスで私達夫婦はそれぞれ手術を要する病気にもなりました。
「ただいまー」と帰ってくるのではと思い、毎晩玄関の外灯を朝まで点けて、また電話がかかってくるのではと、待ったりもしました。他人からの哀れみが嫌で人目を避けたい気持ち、折角の慰めの言葉にも腹立たしさを感じることも度々でした。
「職場のレクにいきたくない、でも皆がいくから・・・」と言っていた娘の言葉が耳に残っています。あの時引き止めはしましたが、職場の行事なので心配はしませんでした。
娘の結婚話が具体的になるところでしたので、将来を楽しみにしていたのが、一瞬にして悲しみとなり、怒りと悔しさが納まらない日々でした。街へ出ると買い物をしている母娘づれを見るのもつらく、ウィンドーに飾られている花嫁衣装や洋服、アクセサリーなど、全てが悲しみとなり、何もかもが空しく、私自身生きていることさえ辛くも思いました。碧い空や美しいものに心が動くようになるのに随分年月がかかりました。
支店全員参加のレク行事中の事故であったことと、発生場所は前年まで冬期間閉鎖していた国道393号線は危険な道路なのに、観光レジャーの為に開通して大型バスを運行させていたこと、場所が行政の谷間のようなところで救急車が到着したのは発生から2時間近くも経ったこと等、公的にも何らかの責任があるのではと思いますが、個人的には企業・行政・法律等々の壁があり、泣寝入りをする以外は無いのでしょうか。
たくさんの人達との出会いがあって私達夫婦は、支えられて今日に至っています。特に学生時代の親友数人が毎年命日に来ていただいています。娘も一緒におしゃべりしているような雰囲気に私達夫婦はとても感謝しています。彼女の部屋は整理しなければと思いつつ、まだ当時のままベットには娘が大好きだった大きな「うし」のぬいぐるみがあり、私は辛くなるといつも抱きしめています。
娘は今どこに居るのでしょうか。どうか楽しく過ごしていますようにと、空に向かって毎日祈っています。友達と電話でおしゃべりするのが好きな娘は21歳でした。